《溥杰访日图》 立轴 设色绢本
钤印: 苏芳(白文) 说明 释文: 满洲帝国,皇帝殿下台临之图。昭和十四年二月二十八日 東京市向島區公會堂に于て催されし滿洲帝國建國第六週年記念慶祝會小台臨の同國皇弟 溥傑殿下并に 浩子妃殿下のは向島區長堀內林平氏の御先導にて東京帝國大學教授文學博士監谷溫先生を始め侍從小原重雄財團法人斯文會會幹福島甲子三淺草區教育會長 東京市會議員松崎權四郎 仝區日滿婦人會長松崎米子 海軍大佐增島忠雄諸氏を隨へ向島區寺島町四丁目合名會社門脅硝子工業所を御視察乃后創立者門脅庄太郎翁社長山谷喜左衞門氏はる子夫人長男勝君長女喜枝子次女喜代子三女幸子等に謁を賜いて御款談小時を過し給い且つ賞詞と共に方架陶朱なる寶額をさへ賜はりぬ 惟みるに門脅翁の硝子工場を本所區菊川町に創立せゑを明治三十年之事に屬す爾來四十有餘年幾多の波瀾曲折を凌さて翁は今茲八十歲を迎へ同業者中乃最長老たるのみならず硝子食器型吹き製造之創始者として永く其せ名を業史に殘せ里而して大正八年十一月翁の女婿に當る現社長山谷喜左衞門氏が翁之業務の一切を繼承して合名會社門脅硝子工業所と組織を變更乃上拮据經營よく職員八十餘名の総親和と總努力とを得て年額け三萬圓の製品を內外市場に送出すの盛運に至らしめ且つまた今日滿洲帝國 皇弟殿下并に妃殿下台臨の榮譽を荷ふに至りぬ 余も亦山谷社長は越后見附町同鄉の先輩ふるにより荊妻フサエと俱に相携へて當日親しく 両殿下に咫尺し奉るを得たるを歡ぶ于是乎敢て不文を綴り以て圖の由りて來る所以を敘すと云爾。昭和十四年已卯彌生佳辰,正六位,文學士,多田正知, 謹識。
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